確認という大変重要な作業
とても面倒な作業ではあるが、確認とはとても重要な手順である。
行ったままにしていたら、果たしてそれはどうなるだろう。
ブログで考えてみよう。
ある記事を作った。その記事は勉強に関する事を載せている。
例えばその内容が英語のことなのに、国語とタイトルに書いてあったらどうだろう。記事を読もうとクリックした人は、混乱してしまう。
行ったものが、自分が伝えたい意図や表現とぴったり合致しているだろうか。それを確認するために、確認という手順が必要なのだ。
もしくは、確認とは実行したことが本当に合っているかどうかの確認に使うものとも言える。
仮説を立て「これなら成功する!」と思い実行したものが、本当に正しいものかどうかは分からない。
ブログで言えば、確認し分析するツールとして解析アプリなるものが存在するのだろう。
受験勉強の英単語暗記で例えよう。
英単語の暗記を音読から書いて覚えるに切り替えた。その結果、テストの点数が以前より10点伸びた。それは、成功だ。
プラスして時間の要素も加えると良い。
音読が10分で80点だったとする。書き覚えが20分で90点だったとする。そう考えると、効率は音読の方がよく、精度は書き覚えが良い。
確認とは、このようにも使える。
物事は、確認までが実行の中に組み込まれた手順である。
また、確認こそが改善を生み出す。
この文章は、これよりもこちらの方が良いのでは。
この文章も追加したほうが良いのでは。
要は、かつての自分と今の自分で比較をしているのだ。確認が比較をうみ、分析が改善を生む。確認とは、進歩するために必要な手順とも言える。
かつての自分を疑うという行為だ。
本当にこれがベストだろうか。と。
疑いが進歩を生むと言い換えることも出来るかもしれない。
確認とは、素晴らしい手順だ。だが、大変、大変面倒だ。達成感を感じた後にやり直しをするのは苦痛だ。
やっぱり、やりっぱが一番楽だ。