教科書通りに出来ない自分。理解と気づきの違い
教科書にいくらそうかいてあっても、それが本当に正しいと理解するには、自分が実行し気づくしか方法はない。
ブログの記事も、「相手が書いて欲しい内容を書くこと」と書いてあっても、必ず自分の中に「本当にそうだろうか」と思う自分がいる。
そして、そいつが自分の進路を別の方向へと進ませる。
そしてぶち当たった時に気づく。
あー、やっぱりそうだったのか。
そこからは行動が変わる。それ用の記事も書いてみようかと思う。
理解と体験は違うのだろう。
理解には頭に取り入れる力はあるが、体験のような失敗は含まれていない。失敗が含まれないと、気づきにならない。気づきにならないと、進歩は生まれない。
予習して、壁にぶち当たり授業で学ぶ。そしてそれを繰り返さぬよう復習をする。
学校のシステムは、実は大変合理的で人間的である。